山からの便り

シュウカイドウの花咲く初秋の裏山です。我が家で、ここだけが林齢140年の木々です。
(家のすぐ裏の林地で一本ずつ切り出せること、神社の鎮守の森である、
という理由で温存されてきました。)



林業を多摩地域で営んでいます。
そのなかで日頃感じたり考えたりしていることを書いてみたいと思います。
今回は市民との交流についてです。

私の家は180町歩(ヘクタール)の所有林地で多摩のなかでは
規模としては中ぐらいです。それでも20年前の父からの相続のあと、
専従の作業員を雇える状態ではなくなってしまいました。
ここ10年、ある程度のまとまったエリアの木をみんな伐る「皆伐(かいばつ)」
での伐採をしてきていません。材価が下がって、伐採適齢林を伐ってもほんの
わずかな代金しか手にできなくなったからです。
それで、17年間、森林ボランティアの方々に手伝ってもらったり、国からの補助金を
最大限利用したりでなんとか山の手入れを続けてきました。

私の代になった当初には、ひとりだけ残っていた作業主任の「ユウさん」ですが、
ボランティアを受け入れると聞いて、「素人がどんな手入れをするのか、いままで
良材をめざして丁寧に育ててきたのが水の泡だわ」と反対でした。
でも、とびきりのOLリーダー嬢に「ユウさん教えて!」とせがまれたり、
鉈(なた)一振りで切り落とす枝打ちを見て「すごーい」と感嘆のことばを貰うと、
ユウさんはすっかり森林ボランティアと仲良しになってしまいました。

「林土戸」「そらあけの会」などのグループはずいぶん長く通ってきてくれました。
春は雪起こしや竹間伐、夏は下草刈り、秋冬は枝打ちと間伐です。
このごろは幼齢林が無くなったので夏は道路縁刈りや山道づくりをしています。
ボランティアグループはさまざまな立場の人がゆるやかなつながりの輪をつくっていて
とてもなごやかな雰囲気です。わたしもその一員としてずっと一緒に作業してきました。
たぶん「環境に貢献」というだけでは継続はしなかったでしょう。

ボランティアのことはたくさんのエピソードがありますので次回以後に書いていきます。
またメンバーである岡田誠さんからもぜひ綴ってもらいたいものですね。
だから多摩林業地の役目は、大都会市民に森林を理解してもらうエリアなのです。
そこでわたしは、家のすぐ裏山に見学コースを造りました。
親子三代にわたって木を育てる林業はどんなものなのか、大昔から人々はどんなふうに
森林を利用し恵みをもらってきたのか、たくさんの生命体が食物連鎖のピラミッドを
造って生きている森林というフィールド、四季折々に咲く野の花や生き物に出会い、
森のフィトンチッドの浴びる気分のいい場所、と一巡すれば体感できるところで、ゆっくりと
散策していただけるようになっています。

スギヒノキ材をもっと利用してほしい、外国の山をはだかにし、砂漠化させながら、
国産材が使われないために日本の山が荒廃しているという現実。
もっと日本の木を使ってもらって、森林を伐採したらまた次の木を育てていく、再造林と
いいますが、山を持続可能な資源としてつなげていきたいのです。

建築用材を育成するだけでなく、山菜を育てたり蔓を採集するといったさまざまな形で
林地を活用していくことが、山の整備保全が進むことにつながっていき、伝統的な日本の
木の文化や技術を守って、雇用促進にもなるのですから。

枝打ち鉈の砥ぎ具合をユウさんにみてもらう林土戸のメンバー。近ごろはのこぎりで枝打ちしています。

そらあけの会のメンバーです。枝打ち講習の先生とたき火を囲んで。

そらあけの会が枝打ち中。
梯子に登って4メートルほどの高さまで枝を伐ります。

山の案内コースで説明する製材業の田中さん。

羽村市子供会がそらあけの会指導で沢のお掃除と体験間伐。
森林インストラクターから森のお話しも聴きました。

山の写真

初夏の山

秋の山

冬の山

写真をお送りします。

この山は養沢というわたしたちのフイールドの入り口の山で、
見える林地は我が家の所有ではありません。
あきる野市の森林です。

広葉樹の天然林と針葉樹であるスギヒノキの人工林が、
春秋にははっきりとわかります。            
                          池谷

山を守るということ(1) ~林業の現場から~ 

東京都あきる野市で林業を営んでいます。
そのなかで日頃感じたり考えたりしていることを書いてみたいと思います。

山はさまざまな働きをもっていて、とても総合的な存在であるとだれもが知っています。
その日本の大事な自然、大切な資源である森林をどう未来につなげていったらいいか、みんなでしっかり議論を深めていかなくてはならないときになっています。
林業が衰退し、山菜など山の恵みも畑で作られ、人々が山に入らなくなって森林が荒廃してきたからです。

戦時中、林木の伐採、とくに人工林がたくさん伐られ、はげ山がふえて、洪水が起きたりしたのに、復興期の家づくりのため材木需要が高まって伐採が増え、材価も高騰しました。
そのため国は緑化を強力に推進し、日本の森林の40%にあたる1000万ヘクタールの人工林ができました。
それらが今成熟してきて、伐採の時期を迎えてきています。
しかし、ここ2,30年は材価の下落が進み、林業は長い不況のトンネルにはいってしまったため手入れが滞ってきてしまいました。外国から関税なしで丸太が輸入され、為替格差などにより、日本における外材のシェアーが80%以上になったのもひとつの原因です。(昨年は73%にすこし下落)
外国の木は天然林が多く、大径木で利用がしやすく、家のつくりもツーバイフォーなどプレカットをして建てる方向にすすみましたから、長い歴史を持つ伝統的な在来工法で国産材を使っての家づくりをする方法は、ハウスメーカーからおいてきぼりにされてしまいました。
 
でも日本の山のほとんどは、人が手を入れてきた二次林です。天然性の広葉樹林といっても、薪炭をつくり、落ち葉を肥料にするため、コナラ、クヌギ、シデなどの有用な広葉樹を選んで残してゆき、萌芽更新(切り口から自然に出る芽を育てる)により持続的に森林を守ってきました。人工林のほうは、スギ、ヒノキなどの苗を植えて育成し、皆伐または択伐(利用間伐)しては跡地に再造林することで、持続可能な方法で健全な森林状態を保ってきました。どんな森林も手入れが絶対に必要なのです。そっとしておいていいのは純天然林の白神山地や知床の森だけです。
 
健全な森林は「森林生態系の健全性と地力などの活力の維持」といわれており、手を入れて初めてあらゆる森の機能がちゃんと作動します。それらは、水源涵養、CO2の固定、国土保全、動植物の住まい、人への保健機能、雨を育み気温をマイルドにし風を防ぐ、などたくさんありまね。元気な森林が上流にあることは、下流のわたしたち都市の人々の生命線になっているといってもおおげさではないのでしょう。
そしてさらに、無垢の木を家づくりに使うことは、木材の持つ調湿作用が働き、人の健康に快適に作用しますし、CO2を吸った木は、それを炭素として固定したままでいます。

 日本の山は、地形がデリケートで起伏ある山ひだを持ち、気候的にもさまざまで、土壌も変化に富んでいるという豊かな表情を持っています。そして山林の三分の2は民間の所有で、その形態も複雑になっています。森林の育成には何世代もかかるものですから、それら日本独特の山の条件を踏まえて、先を見つめた広い視野に立つ国の政策が何より大事とわたしは考えています。
                                                池谷

 

日本の自然~森林について~ 
名古屋大学名誉教授の只木良也先生の<森はいきている>という文章の中に、
気候条件が 豊かな緑に恵まれた森林の成立を許す国土、そこに住む日本人は、
それだけでも森林のな い国々の人より幸せである。だが、日本人の、自分たちの
国土の緑の衣ともいうべき森林に対する知識は、決して豊かとはいいがたい。
そのために、いままでどれほど国土を損傷 し、自分たちも損害をうけてきたことか。

日本人の森林に対する知識の低さは、森林が日本人にとってありふれた景色であ
ったせい といってもよいであろう。それは「空気のような」存在だったのである。

「空気のような」 とは、ふだんは身の回りにあって当たり前、その有り難さには気が
つかない。だが、それがなくなったら、という意味である。空気のような存在の森林は、
空気のように大切なのである。
・・・・・・・・・・・
とあります。

都会に住む私達多くの人は、日常の生活と森林との係わりを考えることなく
生活をしておりますが、“酸素”、“水”、“食料”といった生命環境に深く係わり、

“建物” をはじめ、日本文化の基盤となる森林の存在について、開発が進んだその
現状について、誰もがその現状を知る時期にあるように思っております。
今、私は森林についての知識がありませんので、興味を持ちつつ、時間をかけつつ、
日本の森林について知っていこうと思っております。

皆様にも、ご興味持っていただける方がいれば嬉しいことと、このHPに興味の窓口を
作ることに致 しました。少しずつ進むページとなります。時々、覗いてみて下さい。

さて、森林については立場によって様々な見方があり、奥山と里山とでも大きな違いが
ありそうです。

このページを作るにあたり、林業家(育林家)の池谷キワ子さんと、森林ボランティアを
務める岡田誠氏にご協力をいただきました。
このお二人によるご案内を通して、森林を少し身近に感じることからスタートしたいと
思います。